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嫌われ役

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もう時効。

当時の恐怖におののく自分はとっくに乗り越えました。

いつも不機嫌で仏頂面だったの教官、上司のMs.Yの話です。

 

本格的なフライト勤務に就く前に、地上での厳しい訓練が4か月はとくにきつかったと記憶します。

 

エアランで機内サービスしたこともある人とは想像できないほど、Ms.Yは笑顔をめったに見せず、いつも何かしらプンプン怒っていて、人の荒さがしをしては、訓練生をきつく叱責しているような人でした。

 

職業柄といっても、行動以外に自分の容姿や人格のことで暴言を吐かれたり、悪態をつかれることなど、そうあるものではありません。

 

 「なんでこんな言い方で注意されなければいけないの?」

口が悪いレベルで済まされないほど、純真な心をぐさりと刺すようなものの言い方をする人がMs.Yでした。

 

問題点だけを指摘されれば素直に受け止めるのに、余計なひとことが意地悪にも思えたし、嫌われているのだと毎回意気消沈させられていました。

 

標的はこっちからあっちへ。

なぶり方は姿や形を変えて現れました。

パワハラで一番酷いのは完全無視。

小馬鹿にされる程度ならかなりマシといった風に

苛めにもレベルがあるものです。

 

憎まれ口、嘲笑、嫌味、中傷、暴言、罵詈雑言。

一生分を短期間で浴びせられました。

 

恐怖心で部下を統率するのが彼女の流儀なので、いつもビクついていました。

今日は何を言われるか、どんな怒号をとばされるのかと。

 

威圧的なMs.Yは皆に恐れられていて、訓練終了後もプライベートでも、いつもどこかで目を光らせているので誰もが避けていました。

空港でひと目でも遠くにいる姿を見ると、震え上がるほどでした。

 

フライト勤務につく頃には、ターゲットが新人の訓練生に移り、かなり開放されます。

 

 

「ミス・ビッチ」(意地悪ちゃん)というあだ名のMs.Yの、仏頂面の理由がわかるようになったのは、当時の彼女と同じくらいの年齢を過ぎてからです。

 

 

Ms.Yは嫌われ役を演じていただけかもしれません。

立場的に、教官が訓練生や部下に甘くみられないように、また統率していくためには、強面でいる必要があったのです。

怖い「お目付け役」でいないと、外国暮らしで開放的になったCA達を牽制できません。

 

どんなに昇進しても、頼まれたにしても、あんな役目をする勇気は私には毛頭ありません。

たとえ演技でも、人に恐怖心を持たせるような統制の仕方は無理です。今なら時代錯誤でしょう。

他人に対しての、最低限の礼儀があるならあんな役回りはできないと思うのです。

 

 

自分の人生を振り返るようになった今、当時の経験から得たことは何なのか、それをつきつめたいために回想しているようなものです。

 

 

大局をみると、すべての物事や出会った人というのは自分が作り出した幻影にすぎないのです。

 

Ms.Yは「自分の中の怖い人」を、身をもって私の人生体験に現してくれたのだし、演じてくれていたのだと思うようになりました。

 

もちろん、気の弱い私は人に対して悪態をついたり、暴言を吐いたりしたことなど一度もありません。

人としての礼節は身につけているつもりです。

 

あるとしたら、自分自身に対して暴言を吐いたことです。

自分で自分を貶めるような行為は、自分で自分を怖がらせていたということに変わりないのだと、年齢を経てから気づきがありました。

 

卑下したり、劣等感を持ったり、ふがいなさや無能さを嘆く時どれだけ自分を罵倒してきたことでしょう。

 

「自分なんて存在する価値もない」

訓練中はよくこんな思いで苦しんでいました。

 

「なぜこんな目にあうのか」「自分には素質がない」「採用されたのは何かの間違いだった」など。

 

ずいぶんあとになってから、このことを悟らせてくれたMs.Yの存在に感謝しなければいけないのかもしれません。この経験から学んだことをやっと自分なりに解釈できました。

 

ある意味、彼女は私でした。

私は彼女でした。私の中にも怖い部分があったのだと。

 

この世は仮想現実の可能性があるということを

ここに訪れた人に説くつもりもありません。「わけの分からないことをいっている」とスルーして下さい。

(自分がこの世の現実を創っているのだと知ることほど、人生を思い通りに好転させる方法はないのです。今の自分の現実に不本意なら、自分の内面や考え方を変えればいいだけの話なのですが。)

 

 

「感情体験」という人生の旅をするために、あの人は存在していただけでした。

 

自己否定ほどの自己の魂への暴挙があるでしょうか。

 

自分の中にある「怖い部分」を排除し、消化して自分の尊厳さを認めていればさえすれば、高圧的で怖い人と巡りあってもゆらぐことはなかったのです。

 

これが真実なのです。「 他人は自分の心を移す鏡」だということ。

彼女の存在はある意味「私」が作り出した幻想でした。自分を卑下して罵倒する内面の現れでした。

この人の存在がなければ私は決して人生という長い旅路で、「怖いとはどんな感情なのか」を学べなかったのです。

 

さて下世話な話に戻りますが、現地クルーがフライト前によくこう話しかけてきました。

「ミス・ビッチが今日搭乗するらしいよ。」

私達日本人クルーの「えっ!」と怖がる反応を面白がっていた、そんな日が今では懐かしいです。