悪戯

 

 

 

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自分の中のもう一人の自分

「ギャングエイジ」という時期が子供の成長過程にある。

 子供時代には、ワクワクするような冒険や悪戯をすることも必要らしい。

小学校低学年位までにそこを通過しない子は

やり直してでも悪さをするなどして大人に諌められるような経験をした方が

その後の人間的な成長に関わってくるというのだ。

 

 

お利口さんでいい子のまま大人になってしまうと

精神的にマチュアでない人になるのかもしれない。

 

自分の場合、ギャングエイジはフライトしはじめて

2年目くらいに訪れた。

流行りの言い方をすれば黒歴史とかそんな感じだ。

 

「悪友」がある日突然、穏やかで平坦な私の人生に足を踏み入れてきたのだ。

 

最初の出会いは一緒に働いた日本への便。

 

上の立場でありながら、サービスや指示がアバウトで

あまり感じのいいタイプではないというのが第一印象だった。

 

反面、終始他愛もない冗談で、ギャレーの雰囲気を

和ませてくれた人とも言い換えられる。

 

こういうタイプの台所(ギャレー)長との仕事は楽しかった。

リラックスしてキャビンサービスに専念できるからだ。

緊張がほぐれると業務に余裕ができて笑顔も自然に多くなる。

また案外こんな人の方が乗客ウケしたように思う。

対等でまるで友人をもてなすような接客がユーモラスでチャーミングなのだ。

 

もちろんお固いタイプの乗客とは反りがあうわけない。

ヘラっと笑いながら、ウインクしてジョークを飛ばすような接客態度は

良いサービスかどうかのボーダーラインなので周りの乗務員が肝を冷やす。

 

 「フライトを楽しめ。」が台所での彼のオーダーだった。

 

「フライトをお客様に楽しいものにしてもらうのが仕事じゃないの?」

そんな疑問を内心抱いたのだけれど、この1本が終われば再び会うこともないと

その時は気にも留めなかった。

 

ところが「悪友」はその便が終わってからも、真面目くさった私の牙城を崩してきたのだ。

 

人の縁ほど不思議なものはない。

 

馬鹿正直でシリアスで、すきがなく何の面白みもないような人間を貫いてきた私だ。

Mrイージーゴーイングは異次元の存在にしか過ぎなかったのだけれど

なぜか自分も少し気になり始め、逢瀬を重ねるようになっていった。

 

 

2年目ともなると仕事にも慣れて脂が乗ってくる頃だ。

周りがようやく見えてくる。

要領のいい人、悪い人、仕事ができる人とそうでない人。

優しい人、意地悪な人。

仕事以外ではずっと彼らとは一線を引いてきた。

 

日本人としてクルーの一員であるけれども

チームフライトで乗務する彼らのどこにも帰属しないと気負っていた。

一匹狼でいられる業務形態は、群れることの嫌いな自分に

見事にはまっていたと思う。

 

 

一本のフライトに全身全霊をかけて一発勝負で望む極度の緊張感とストレスは

オフでの開放感を同じくらい必要とする。

 

気の緩み、というより本来の自由な自分に戻る時間というものを欲していたのだと思う。

 

制服を来ていないにしても、例えばプライベートで市内へ出かける時も

◯◯エアーの乗務員でいろと言われた。

昨日お世話した観光中の乗客と、どこで出くわすかわからないからだ。

 

実際に私服のナチュラルメイク姿で「昨日のスチュワーデスさん、こんにちは」

と声かけされることもあって恥ずかしかった。

 

気が張る分、どこかで緩めなければやっていけない部分もあったように思う。

人と会う時も終始「◯◯エアーの人」の顔でいなければならない。

そんな肩書が人としていつも「いい人でいること」を要求した。

 

品行方正でいい人。よく気のつく優しい女性。いつも笑顔を絶やさない。

 

そんなイメージの囚われの身となり、プライベートでもナイスでいることは容易ではない。

みんな弱くて多面性のある、ただの一人の人間なのだ。

 

自分のギャングエイジは大人になってから訪れた。

Mrイージーゴーイングとの付き合いで私が学んだものは

自分を開放すること。殻を破ること。

 

「人生楽しく。そんなに心配するな、なんとかなる。」

 

車でも何でも「遊び」の部分がなければ立ち行かない。

時には引かないとしんどくなることを、それまで知らなかった。

このときの経験のおかげで精神的にマチュアになれた気がする。

 

オンとオフの落差とメリハリがあってこそ仕事や人間的にも幅がでてくる。

 

私の他人からみた印象は「従順で慎み深い、大人しい」

「つまらない、固い感じ、地味」が多いかもしれない。

 

心の底では「そうじゃない、誰かありのままの私を見て。」

そんな風に叫んでいた。

 

その人から教わった悪戯とろくでもない遊びや、ズルをするというエキサイティングな体験。

誤解をまねかないためにも言っておくけれど、それは人に迷惑をかけない範囲のちょいワルだ。

ちょっとだけ不良。パンク。ロック。

きつく締め上げる上司への反発心も少しはあった。

 

自分にもそんな伸びしろがあったことは新鮮だった。

時効だからこそいろいろ書き残してもいいかなと思っている。

 

人はある側面だけで語れないものだ。

あまりにも裏表がある人は苦手だけれど、外向きと内向きの顔がある人は人間味が感じられて好きだ。

というよりそのギャップに弱い。

 

封印するか回想して楽しむか。

遡って思い出に浸ることができる。

ずいぶん歳を重ねたようだ。

この黒歴史は人生のすべてではないけれど糧となっている。

もし経験済みでなかったなら

今でも堅物の面白みのない人のままか、あるいは

年甲斐もなく火遊びでもしていたかもしれない。

 

 

「いちご白書をもう一度 」
 荒井由実
 
いつか君と行った映画がまた来る       
授業を抜け出して二人で出かけた      
哀しい場面では涙ぐんでた  
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリィー どこかでもう一度