メンティー

f:id:soboku-kobe:20170706223422p:plain

私のいたエアラインでは、新人CAは約4ヶ月間の訓練を経た後、いよいよ機上の人として働くことになったのだけれど、実際のフライト勤務が始まってから3ヶ月はメンターの世話になるきまりだった。実はこの記憶があいまいで具体的に3ヶ月だったかどうか、申し訳ないのだけれど定かでないのでご了承を。

訓練を終えようとする直前に発表がある。

どの訓練生に、日本人先輩CAの誰がつくのか。

メンターとして新米日本人CAを指導することになるのは、5~7年の経験を踏んだ「大御所」CAだ。(当時は日本人CAの契約が5年、最長7年だったため。)

勤続年数5年でもかなりの大先輩だったのだ。たいていはそれまでで辞めてしまったので。

国内エアラインのことは何も知らないのだけけれど、確か訓練後はOJT勤務なるものがあると聞いたことがある。外資エアラインは本格的にフライトを始めるには訓練生バッジ(メンティー)をつけさせられるのではないだろうか。メンティー(訓練生)は専任のメンター(育成者)が一人以上つく。

メンター・メンティー制とは(コトバンクより引用)

メンター制度とは、会社や配属部署における 上司とは別に指導・相談役となる先輩社員が 新入社員をサポートする制度のことをいいます。

メンターとはもともと助言者という意味であり、 年齢や社歴の近い先輩社員が、新入社員の仕事における 不安や悩みの解消、業務の指導・育成を担当します。

新入社員は上司とは別の相談相手ができることで、 必要なスキルや技術を身につけながら、会社に馴染むことができます。

実際のフライトで右も左もわからない超新米CAのサポートをする、担当の上司や先輩といったところ。

ブリーフィングで、「私のメンティーをよろしくね。きちんと面倒を見て世話をします。何かあったら私の責任だから教えて。」とフライトクルー全員にわざわざ申し開きをしてくれる、頼もしい存在だ。

「わからないことがあったら経験豊富なこの私に聞いて」と指導もアフターフォローもしてくれる優しい先輩CA。

「私も新人時代はそんなことがあったよ~、大丈夫。」と失敗談を、笑って聞いてくれる心強い見方。それがメンター。

長くてタフな訓練もようやく終わろうとしていた頃にあるメンターの発表。

ドキドキだ。「どうかあの先輩に当たりませんように・・・。」

「わ~、かわいそう過ぎる!」

最大の同情が集まったのは、どう贔屓目に考えても、発する怒声がその可愛いお顔から想像できないほどコワい先輩、Jさんがメンターに決まった同期だった。

J先輩はモックアップ訓練中(施設には飛行機の客室と同じようなシュミレーションキャビンが設けられていて、訓練後半は集中的に利用する)にも幾度となく招待される臨時講師だった。

顔はニコニコしているのに、指導中、それはそれはキツく訓練生を叱咤激励(罵倒?)する、世にも恐ろしいタイプの人柄の女性だった。将来的な昇進の口約束があっっての演技だったのかもしれないけれど、それにしてもコワい先輩だった。

もちろんいちばん恐ろしいのは、例の日本人女性スーパーバイザーだったのだけれども、二番手が、そのJ先輩だった。三ヶ国語に堪能な美人、仕事は完璧にこなすタイプという意味でも崇められていた人だ。だから余計、プレシャーを感じたのだと思う。

「コワい。」(ブルっ・・・・)

人を何気ない一言で震え上がらせるほど、満面の笑顔で叱責することに何の意味があるのだろうか、と今となっては思う。とにかく一言一言、強烈にキツいのだ。何年経っても、忘れなれないほど一言を浴びせたなど、本人にはわからないのだと思う。この手の指導は新人を萎縮させるだけなのに。

とにかく震えるほど怖かった。私の場合はモックアップ訓練中に、「ギャレーに物を置かないでって言ったよね。」と微笑みかけられながらチクリと言われた。同期もそれぞれ何か注意されたようだった。

モックアップ中は、機内サービスの要点などをまとめた小さなメモ帳が手放せず、緊張のあまり、その時はついメモをギャレーに置いたまま(模擬)キャビンに出てしまったのだ。

つまり二度同じことをやってしまって、睨まれたのだ。それはあたかも「そんなことくらい覚えてきなさいよ!何やってんのよ、さっきも注意したでしょ!」と罵られているような無言の蔑みだった。

ちなみに機内の台所(ギャレー)は非常に狭いため、私物を一切置かないのがルールだ。当然彼女はあの強面スーパーバイザーに目をかけられていて、つまるところ次のスーパーバイザー候補だった。見目形は違うけれど人格的には同類だ。

訓練の辛さというのははっきり言って、この種の高圧的な上の立場の人からの精神的なプレシャーによるところが大きい。

それとも当時の訓練がキツすぎて、心が卑屈になっていたせいなのか。ビクビクしていたせいか。

恐怖で人を支配するようなイマドキ流行らない、でもそれは往々にして特殊で日本的な「女の世界」にあった。上下関係が厳しいとかの、そんなレベルをはるかに超えるものだ。

話は元に戻るけれども、この人が最初の訓練期間のメンターだと知らされた同期にかなりの同情が集まったことは今でも覚えている。固まっていたから。その人も・・・。お先真っ暗といった感じに。

実際は、運の悪いその同期以外は、「良かった!」と胸をなでおろすような「普通」の人間らしい先輩がほとんとだったから。

当時仲良しだった同期のKと私のメンターは、とくに優しそうな大先輩だったので、私達二人には明るい初フライトが約束されていた。

ドキドキのメンティー(訓練生)としての勤務は、大好きな日本人先輩に見守られながらとなったので、幸先の明るさを感じていた。

そして辛い訓練を乗り越えてきて良かったと思える、人生でトップレベルの幸せな初フライトを行えることになったことに今でも感謝するし、それはこれは夢でないかなと思える楽しくエキサイティングな体験だった。

これまでの苦労が帳消しになったほど、仕事にやり甲斐も感じ充実感を得ることになった。それにメンティー時期を終えた後、1年も過ぎるとそれこそ「水を得た魚」だった。楽しくて楽しくて・・・。

ところで、かの恐ろしいほどコワいメンターについた同期の運命はどうだったか。

気の毒なくらい、オフで会う度に悲愴な面持ちをしていたし、実際かなり辛かったようだった。心に傷とトラウマを負ったまま、後々になっても愚痴と恨み節を語っていた。鍛えられたようだったけれど。

けれどもその彼女が同期の中で、一番長く勤務を続けたのだ。実際に彼女自身、メンターとなり後輩を指導する役もしたのだが、印象に残ったのはこの台詞だ。

「私はあの人のような真似だけは絶対にしない。」

負の連鎖がストップしてよかったのだけれど、今の新人指導や育成方法がどうなのかは知らない。